入院生活112日目、ステロイド療法42日目(離脱期14日目)、病院での食事の件その3と退院予定日181203

今日でステロイド療法が離脱期に入って丸2週経過。明日からの投与量がどうなるか知らせを待っていたら、15時頃自室でリハビリ自主トレをしていたところに神経内科S先生が回診のため来室。詳しく触診をし、土日の診察のない間の経過に問題の無かったことを確認の上、明日からの投与量を35mg/日と仰った。続けて再来週は、明日からの1週間に病状が増悪したりしなければ30mg/日まで減量し、予定通り退院、在宅治療となるとのお達し。あぁ、ようやく入院生活のケツが明確になった。感慨などは特にはないが。ステロイド減量が終わって安定するまでは退院しても安心はできない、というより感染リスクは増えるので闘病の不安は増す。

前エントリで話の枕にEDMのことを書いたけど、予定通り3日であきた。だって「スイス出身のアーティスト」に「ビョークみたいな声の女声ボーカル」か「つるんとしたオカマ声の男声ボーカル」の組み合わせばかりなんだもの。やっぱり俺はこっちだ。前のエントリの曲はこの曲をYouTubeで検索してて引っ掛かってたまたま聞いた同名曲。

けども、昔の曲が今一つ著作権関連がスッキリしていないのに比べると(↑のリンクも恐々張ってる)、最近の曲はそこら辺がクリアなので何の気兼ねも要らずに共有できるのは良いなぁ。貸しレコード屋の盛衰を実体験した世代からすると、その後の紆余曲折を経てあるべき、あってほしい形に音楽に限り著作権周辺は収まったという気がする。我ながら良く事情を知らんのに偉そうだ。また前置き長い。前回の続きです。

この病院の食事は炊きたてのご飯が旨い、特に薄味のおかずとの組み合わせで威力を発揮する、と前回書いた。健康に良いのは違いないので家でも継続したいのはやまやまだけど、今日も旨い白ご飯を食べていて難しいと気づく。
ただ炊きたてというだけではないのだ。大量炊飯のご飯は、さらに旨さが増すことを失念していた。旅館の和食の朝飯が妙に美味いのはこれだった。うちの炊飯器は最近ちょっと奮発した価格で新調した優秀なやつで、通常メニューでも「早炊き」メニューで炊いてもどちらも炊き上がりには殆ど違いはない。早炊きだと炊き始めから20分程で炊き上がるので、主菜/副菜調理を始める時点で炊き始めれば、時間のロスもほとんど発生しない。けれど大量炊飯の利点はいかんともし難い。
炊きたてのご飯だけではなく、もちろん「薄味で恐らく添加物少なめのおかず」も簡単な、当たり前のことではない。退院後に自分で毎食同じレベルの調理を続けるのは難しい。作りおきの部分を少なめに抑え、適時に、丁寧に材料の加熱をしたり、しっかり出汁を利かせるけれど、合成出汁は使わない、など。原料コストではなく人員コスト、調理の手間の増大を招く要因になるからだ。
俺が「炊きたてのご飯と薄味のおかずの組み合わせ」に感心するのは、簡単に「食材の原価率を上げる」ことで比較優位に立つのではなく、レシピの精度や、作業の組み立てと人員配置など、企業の持つ独自のノウハウで優秀な結果を出しているところだ。
確認は取っていないが、恐らくこの病院の給食事業を受託している会社さんは俺が思い浮かべている企業だろう。というより(元)同業者なら誰でもわかるはず。思い返すと10年ほど前にはこの会社さんに対抗して、商社の常套、原料コストを無茶して張り合おうとしたことがあったが、当然のように歯牙にもかからなかった。それの理由を実際に食べる側として今、実体験している思いだ。
ここから我ながら急に大袈裟な話になってしまうけど、この「炊きたてのご飯と薄味のおかずの組み合わせ」のような珍しいわけではない、いわば王道の料理のレベルの上げかたに、これほど感心させられること自体が近年目に余るようになった「日本の食」の凋落を象徴していると思う。俺が考えるに日本以外ではいまだに食事情について、当たり前にこういう労力の掛け方をしているところが多いように見受けられる。

世界的には景気の良さが長く続いていて、例えば質の良いオーガニック食材の中でもさらに高品質なものは、暫く前から海外の商社などに買い負けして日本には影も形もない、端から入って来ないということが見受けられるようになってから、およそ10年位経ったと思う。また、外交力や景気など一国の国力と、流通する海老のサイズが正比例することは大英帝国の頃から言われているが、俺が社会人になった20年ちょっと前に解凍ブラックタイガーの中サイズと言って売っていたのは「26/30」規格だったけれど、今はどのスーパーの鮮魚売り場でも26/30を「大サイズ」と表示して売っているようだ。
こういったこと等も日本の食に関わる今の状況では、より高品質、より美味しさを追求するという、当たり前の、王道の食のレベルの向上が難しくなったことを示している。聞くところによると、今一番大きい規格の海老を消費しているのは中国だそうだ。当然か。

暫くアメリカで生活した経験から感じたことに、アメリカの食の特徴として薄味ということが挙げられる。一般的な日本人の「アメリカの食についての理解」とは差異があるようだが、ある面から捉えると間違いなく事実だ。例えば、彼の国では醤油は薄口の減塩しょうゆが圧倒的シェアを取る。何故ならば彼らは調味料であるしょうゆでさえも一度に大量に摂取するからだ。持ち帰り寿司のパックを一つ食べるとき、彼らは小鉢に半分ぐらいの量のしょうゆを用意して、たっぷり浸けながら食べる。しょうゆの大量摂取が健康に良い訳は無いが、同じく大量摂取を理由として、食品添加物の評価や運用も日本よりかなり厳しく管理されている。
アメリカの食を取り巻く状況に俺が感じ取った、大量摂取に由来する「薄味」「厳格な添加物の運用」、それらの価値が意味するのが、何故か結局は「大量摂取に由来する食品の高品質化」という一点に収束するのが不思議だ。俺がそれをはっきりと感じたのが「日本で売っている」持ち帰り寿司の状況だ。
工場で製造し店舗に納品する持ち帰り寿司の場合、当然だが「シャリ」は工場で炊いて調味して作っている。対してスーパーやデパートなどのバックヤードで製造し、そのまま店舗で販売する持ち帰り寿司に使うシャリは通常、外部業者から取り寄せている。ややこし過ぎて、ここには書きにくい事情も色々あるのだけれど、一番の理由はバックヤードの狭さだと思う。様々な会社で、様々な形態の店舗で持ち帰り寿司の販売には携わったことがあるが、唯一の例外を除いたすべての店舗、業態でシャリは外部から納品されたものを使っていた。
唯一の例外は1年ほど雇われていたアメリカ資本の日本のスーパーだった。工場では使った経験はあったが、店舗のバックヤードにシャリ製造ロボットを設置して、いわば「合わせたてのシャリ」を使って寿司を作っていたのはそこだけだった。
その会社はスーパーマーケット業態では世界でも上位に入る売り上げ規模があり、持ち帰り寿司は全世界の店舗に標準で設置されているが、シャリロボットをその会社でほぼ全社的に使っていた理由を端的に言うと「そのほうが旨いから」。調味されてから比較的短時間で製造、販売に回されるから、添加物も保存料等が少な目に配合されていたし、単純にシャリのふんわりとした柔らかさ、全体的な質感など、寿司ロボ、巻きロボを使って握っていてもわかる品質の違いだった。
寿司のシャリに限らず、基礎的な食品、例えば食パンの類いや生鮮でも主力品である精肉商品などは、この規模の業態では珍しくほぼ完全インストア製造を貫いていた。製造方法の細部や添加物を含めた味付け、品質すべてを自社、自店、つまり販売点で極力コントロールするのだという哲学が強く感じられる施策だった。
そこで、「基礎的な食品」、ベーシック商品に共通する特徴とは何か。それは「大量摂取(消費)」の対象となる商品だったのだ。大量に消費されるものだから、健康への影響も大きく、繰り返し食べるため一過性ではない味の刷り込みがされ、その他の面でも企業の顔として印象に残りやすい、シグナチャーな商品となるもの、そういった商品を基礎的な商品と位置付けていた。
寿司という食べ物を食べるとき量的に一番摂取されるのはシャリである。この会社は寿司という食品を分析し、その結果そこで一番大量に摂取される食材、シャリについて高品質を企図したうえで、シャリは添加物が少なく炊きたて合わせたてが旨いという事実を販売点である店舗で実現しているということだ。まさに珍しくはない、当たり前のことをけれんみなく実現する、王道だと思う。実際販売残を試食すると、ネタは大したことはないのに妙に旨かった。
思い出した。ネタもサーモンはノルウェーから直取引で空輸しているドレス(頭と内臓除去。身は空気に触れない)を店舗で解体していたので、日本で売っているアトランティックサーモンの中では鮮度は飛び抜けてよかったけど。これもシグナチャー商品哲学の現れだろう。

以上、思い付いたままいくつか俺が経験した「日本以外ではとられている、珍しくないことを当たり前にやって高品質を実現する」王道の施策をあげてみた。もっと印象に残った、感心させられた実例も他の企業様で経験しているが、さらに効果的な施策となると明確に企業秘密の部類に入ってしまう。
残念なのはこれらの施策の優位性を評価できるだけのスキルを、社会人の最初の10年ほどのキャリアのなかで日本の企業において身につけたのに、その後のキャリアのなかでその獲得したスキルで評価して感心させられたのは海外の、敢えて言えば成功している企業の施策だったことだ。
いつから日本の、特に俺の主戦場である食品関連の企業ではそういった王道の成功例に感心させられることが少なくなったのか。年月日は明確ではないが、原因となった風潮のようなものはわかる。

日本の食文化はいつからか「食べ物で遊ぶようになった」のだ。俺らの世代位までは、子供を叱る常套句に「食べ物で遊ぶな!」というものがあった。意味としては「食べ物を粗末にするな!」と同義だが、今は食卓で子供をこの言葉で叱ることはできないだろう。だって今はもう大人も、彼らが所属する企業社会も、食べ物で遊ぶことを良しとして生きているから。
例を列挙していたら切りがない。減塩のはちみつ味の梅干し、保存能力ほとんどなし… 鍋のつゆのもと、パッケージに坂本龍馬の白黒写真… 「朝焼き」の鰻・焼き魚、詳しくは言わないがとにかく「今朝焼き」とは言ってません… 安心安全「っぽい」国産小麦使用の食パン、国産小麦はパン製造には向いていないので輸入小麦使用のものより添加物は多く入ってます… 「透明なミルクティ」……..
「食」自体にも、それを取り巻く人、もの、文化/歴史にも全くリスペクトがない、涙が枯れるほどない。怖いのは、この方がコストの優位性等のメリットがあるわけでもないこと。上の例などは、作る側の者が真摯に食に向き合って、食べる側に理解させれば意味のないことばかり。ではなぜやるか。端的に言うと差別化だ。当たり前の、王道の施策だと差別化にはならない。要するに食で遊んでいるのだ。

だらだら言いたいことを書き連ねてエントリがまた長くなった。毎日書きついで、このエントリ書き始めてから1週間ほどたっちゃった。今は12/11(火)の朝5時過ぎだ。何でこんなエントリを書いたか。前から、現在の日本の食文化の凋落の現れを目にする度に苦い思いを感じてきた。だって俺のホームグラウンドだから。一度話を整理しておきたかったのだけれど、今回の入院で漸く機会ができた。まぁ、こんな内容では下書きレベルだけど、この内容を下敷きにメインブログで近いうちに書く。いつか書く。恐らくky。
書いた動機は以上。では未だ解けない疑問を最後に。もう結構前からこういった「凋落」は続いているのに、一般的日本人がいまだに無条件で他国の食の状況より「和食」の方が優れていると考える、というより肌感覚レベルで感じているのは何故なのだろう。何の根拠もないのに。塩分過多や食材廃棄物の量の人口比での多さなど、海外での日本食や食文化の評価は決して高いとは今はもう言えないのに。「優れたアジア料理」のくくりで出てくるベストスリーの、日本は非常連国だ。それが「世界常識」なのに、何で日本人だけ「和食はスゴい」と感じるのだろう。どこで刷り込まれているのだろう、今もなお。本当に不思議だ。

このまま次のエントリも書く。だって今日病院が開業時間になったら退院だからw 昨日の夕方急に決まったww