入院生活105日目、ステロイド療法35日目(離脱期7日目)、病院での食事の件。181126

今日でステロイド離脱期第1週が終わるのだけれども、昼過ぎに神経内科S先生の診察があり、明日からの第2週も引き続き40mg/日の投与量を継続するとのお話しがあった。何の副作用も、何の問題も発生してはいないけれど、ここで慎重に経過を診ることになったそうだ。その代わり経過次第では再来週一気に10mg減もあり得るとのこと。そこらへんの機微は俺には(当然)わからない。
前エントリでは腰の前部分の機能を修正するため新たに導入された動作を詳しく説明すると予告していたのだけれど、後回しにして俺にとって色々な意味で重要なテーマ「食事」をここでやっつけておくことにする。退院前にちゃんと総括しておこうと思う。長いエントリになる。

「食」については前提条件が二つある。ひとつは、社会人となってから俺も20年以上経ったが、職業としては一貫して食品流通に関わる仕事に携わってきた。しかし「食品流通に関わる仕事」とカッチョ良く一言でいっても、内実は多岐に渡りすぎて過ぎてしまって、我ながらとても一貫しているとは言い難い職業人生になるのは不思議だ。
時系列無視で軽く列挙すると、食品小売りではスーパーからデパート、ショッピングセンターなどあらゆる場所で、「小鯵のお刺身からマグロの解体ショーまで」何でも売った。アメリカ資本の日本のスーパーにも、カリフォルニアの日系スーパーで働いたこともある。飲食業界では古都の料理屋で雇われ店長、飲食チェーンのエリアマネージャー、衛生責任者もやった。食品製造業では中規模事業所の製造課長や中小生洋菓子メーカーの製造責任者もやっていたことがある。食品商社の営業マンも二年ほど経験。急遽代役でお客様の要望を伝えに中国山東省の提携工場に行かされて、商品開発の目処が立つまで付き合って、帰ったら暫くして届いた2トンの商品を冷凍倉庫までトラックを手配して運んで積み降ろし。結局売れなくて半年後に仕出し会社に叩き売るまで独りでやった。
他にもまだあるのだけど切りがないので止める。実際にこれらの職業で経験した内容は、思い出しても目がしばしばするほど支離滅裂で、他人事としたら面白いのだけど、退院したら何らかの形で発表するつもりなのでさわりだけで止めておく。とりあえず以上のように食品流通に関わる仕事を色々やって来て言えることは、「ものには値段がある」。300円しない牛丼の味を本気ではとやかく言わない分別は出来たし、古都の地元だけでひっそりやり取りされている一竿5万の鱧の押し寿司の味もとやかく言わない。値段しかないものも世の中にはある。あれは包み紙の値段だと思う。でもまぁ食い物については我ながら他人より煩いとの自覚はある。

もう一つの前提条件は病院食についてのもの。病院での入院生活と言えば今回の長期入院以前には、16か17才の頃バイク(50cc)で結構な怪我をして1ヶ月ほど入院して治療を受けたことがあるだけだ。それ以外に入院をした経験はない。30年ほど過去の話なので一言で入院生活といっても今とは色々違っているが、なかでも病院食事情は隔世の感がある。
顔面が破裂して何十針も縫ったので、運び込まれて2日間は経口で食事が出来ず、点滴で栄養をとっていた。とにかく腹が減った。何でも良いから口に入れたくてたまらなかったのを覚えている。腹が減って辛いのと、自分の腹が鳴る音が煩いのとで眠れなかった。
3日目の朝、ようやく食事を持ってきてくれた。完全に冷えきった、重湯に近いごく薄いお粥。付け合わせは確か漬け物か何か、おかずというほどのものはなかった。
死ぬほど旨かった。傷が痛むのなんてどうでも良かった。と言っても口はほとんど開かないので、顔を傾けて少しずつ流し入れた。今思い出しても旨かった記憶しか残っていなくて、冷えきったお粥が食べたくなる。ただし、家では美味しいとは思わないだろうし作ろうとしたこともない。俺にとって「旨い冷えたお粥」とは、病院のベッドとプラスチックの食器が不可欠の記憶なのだ。入院中、空腹の苦痛はそれだけでは終わらなかった。
東京郊外の私立の救急病院で、今では考えられないような不備が多々あった。入り口の守衛が恐いと評判の病院だったが、俺が友達に運び込まれた時もまず何より救急入り口が血だらけになったことに守衛が激怒して、友達は床にモップがけをさせられて、俺は洗面所で顔を洗ってこいと。顔を流して鏡を見たら、頬が捲れ落ちて骨が見えていた。動転したがどうしようもない。
何より病院食の時間が無茶なのだ。昼はともかく、夕食が病院の都合で16時頃で、朝食は朝8時半。病院内にコンビニなんて気の利いたものはないし、買い置き、差し入れの類いは基本的に禁止だった。10代の食欲にこれは辛かった。結局入院2日目の夜だけでなく、入院中ずっと、腹減りで寝付けないのはついて回った。朝は食事が来るまでかなりの音量で腹が鳴り続けているけど、恥ずかしいなんてことはない。大部屋の患者の皆が同じだから。
こんな状態で食べる朝食はくらくらするほど旨い。主食は怪我の状態から退院直前まで冷えきったお粥なのは変わらず、「冷えたお粥が旨い」の刷り込みは結局1ヶ月続いた。退院直前に白米になったので「冷えきった柔らかめに炊いた白米」も嫌いではない。もちろん付け合わせのおかずがどんなに粗末でも、すべて「とてつもなく」美味しかった。一言でまとめると、病院食が大好きになった。
この刷り込みが強烈だった証左としては、この「はじめての入院経験」を終えて数ヶ月たった頃ごく近親の者が死の病で別の病院に入院しており、その夜間付き添いのワンポイントリリーフで俺が1週間泊まり込んだのだが、もう病状が進んで食べられなくなった病人の食事を、看護士の目を盗んでほとんど全部俺が横取りしていた。もちろん朝食はすべて。我ながら情けないが、旨かった。大好きな「冷えきった、重湯に近いごく薄いお粥」だったし。俺の付き添いからほど無くして近親の者は身罷った。
また無駄に長くなったが、簡単に言うと「食全般については主に職務上の知識と経験に基づいた拘りがある」と「病院食は(ほぼ無条件で)大好き」の二つの前提条件があるということだ。

さすがに長すぎるのでエントリを分ける。ここまでで中断ばかりで3日掛かっている。